あしやのきゅうしょく

芦屋の小学校で働き始めた新人栄養士・野々村菜々は、退任する栄養士から給食の献立作りを引き継ぎ、
子どもたちにおいしい給食を提供しようと奮闘する中で、さまざまなことを学び成長していく。
そして菜々は、たとえ子どもの苦手な食材があっても、素材の味を生かし、それぞれに合ったメニューを心がけようと決意する。
やがて1年が過ぎ、菜々にとって初めての卒業式がやってくる。

祈り 幻に長崎を想う刻(とき)

1945年8月9日午前11時2分、広島に次ぐ二発目の原子力爆弾が長崎市に投下され、人口24万人のうち約7万4000人の命が奪われた。
それから12年が経った1957年の冬の長崎。
カトリック信徒の鹿と忍を首謀者とする一味が、浦上天主堂跡から被爆したマリア像を盗み出す姿があった。
彼女たちにはマリア像を盗み出す、ある理由があった。

蹴る

重度の障害を抱えながらも電動車椅子サッカーのワールドカップ出場を目指す選手たちの6年間を追ったスポーツ・ドキュメンタリー。
重度の障害を持ちながら、危険で激しい電動車椅子サッカーというスポーツに情熱を傾ける選手たちに密着し、
一人ひとりの人生や日本代表への熱い思いを見つめるとともに、電動車椅子サッカーそのものの魅力にも迫っていく。

東京自転車節

新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、地元山梨で行っていたアルバイトを失う青柳拓。
そんな折、自転車配達員の仕事を知り、家族の制止を振り切り新型コロナウイルス感染者数が増える東京に出る。
自転車配達員として働くことになった青柳は街を疾走しながら、自らと東京の今を撮影し始める。

みんな生きている~二つ目の誕生日~

稽古の最中に倒れて病院に運ばれた空手講師の桧山大介は、白血病と診断され骨髄移植しか助かる道はないと告げられる。
やがて骨髄バンクに登録した大介のもとに、ついに適合するドナーの女性が見つかるが、彼女はドナーになることを家族から反対されていた。

こどもかいぎ

とある保育園で新たな取り組みとして始まった、子どもたちが輪になって自由に話し合う「こどもかいぎ」。
子供たちが会議をする保育園を1年間にわたって撮影する。
子どもらしい疑問から人生哲学的なテーマまで、毎回さまざまな議題で会議をする子供たちの姿とその成長を見つめ、
話し合うことの大切を改めて問い直していく。

人生フルーツ

さまざまな社会問題を取り上げたドキュメンタリー作品を世に送り出している東海テレビによる劇場公開ドキュメンタリーの第10弾。
90歳の建築家・津端修一さんと87歳の妻・英子さん2人の日常を追ったドキュメンタリー。
敗戦から高度成長期を経て、現在に至るまでの津端夫婦の生活から、日本人があきらめてしまった、本当の豊かさを見つめなおす。

東京クルド

故郷での迫害を逃れ、日本政府に難民申請を続ける2人のクルド人青年オザンとラマザン。
難民申請を続け、入管の収容を一旦解除される仮放免許可書を持つが、身分は不法滞在者だ。
いつ収容されるかわからない不安を常に感じながらも、2人は夢を抱き、将来を思い描く。
彼らの日常に密着し、置かれた理不尽で過酷な状況と、入管における想像を絶する非人道的な対応の数々を映し出す。

奇跡の子どもたち

2004年、日本で初めて“AADC欠損症”患者が見つかる。
患者は3人だけで、”希少難病”と呼ばれました。
生まれつき運動機能を司る「AADC酵素」がないため、寝たきり、自分の意志で体を動かせず、言葉を発することもできません。
希少難病であるAADC欠損症に向きあう患者と家族の日常と新たな治療に臨む姿を捉える。

こころの通訳者たち What a Wonderful World

手話を目の見えない人に伝えるための音声ガイドづくりに挑戦した人々を追ったドキュメンタリー。
日本で唯一のバリアフリーのユニバーサルシアター、シネマ・チュプキ・タバタに舞台手話通訳者から音声ガイド作りの相談が持ち込まれ企画が始まった。
見える人・見えない人、聴こえる人・聴こえない人が集まり“音声ガイド”が作られていく。

ヒロシマ ナガサキ 最後の二重被爆者

1945年8月に広島と長崎の両市で被爆した“二重被爆者”に焦点を当てたドキュメンタリー。
山口さんは当時、長崎県で造船技師として働き、出張先の広島県でも被爆した。
他7名の二重被爆者へのインタビューから、これまで明るみに出ることのなかった二重被爆の実態に迫る。

帆花

生後すぐに「脳死に近い状態」と宣告された帆花ちゃんを常に見守る生活をしている母親の理佐さん、父親の秀勝さん。
当時3歳だった帆花ちゃんが小学校に入学するまでの3年間にわたり、家族に寄り添いながらその日常を記録。
いろんな場所に出かけていき、絵本を読み聞かせ、カメラはそんなありふれた日常と帆花ちゃんが成長していく様子を映し出していく。

Challenged チャレンジド

欧米では「チャレンジド」と呼ばれる知的障がいを持つ人たちに寄り添ったドキュメンタリーをつくり続けてきた小栗謙一監督が、
世界各地、様々な分野でアグレッシブな活動を繰り広げる彼らの日常を温かいまなざしで捉えたドキュメンタリー。
また、ナチスドイツが密かに実行していた、障がいのある人々の殺戮の実態について綿密に取材し、「障がいのある者は、生きる価値がない」という誤った考え方の源流を考察する。

涙の数だけ笑おうよ 林家かん平奮闘記

脳溢血で倒れ右半身不随と言語障害を負った落語家・林家かん平。
車椅子での高座復帰、壮絶なリハビリ、そして自身の体験を元にした新作落語への挑戦を通して、満身創痍でも噺家人生を歩み続ける姿を追った奮闘記ドキュメンタリー。

ぼくが性別「ゼロ」に戻るとき 空と木の実の9年間

女性として生まれたものの、自分の性に違和感を持ち続け、13歳で性同一性障害と診断され、20歳の時に性別適合手術を受け戸籍上も男性となった小林空雅。
そんなひとりの若者が、出会いの中で変化と成長を遂げていく9年間を見つめていく。

スギメ

3万年以上前、祖先たちはどうやって台湾から琉球列島に渡ったのか。
この壮大な謎を解明するべく、使われた可能性がある数種類の舟を作り人類最古段階の航海の謎をさぐる実験がはじまった。
2度の失敗を経て黒潮を越え、台湾から与那国島にたどりつくまでの様子を捉える。

グリーフケアの時代に

理不尽なリストラにより尼崎の実家に戻ってきた39歳の近松優子は、定職に就くことなくニートのような毎日を送っていた。
ある日、能天気な父親は突然再婚すると言って、家族だんらんを夢見る20歳の早希を連れてくる。
家族団欒を夢見る早希と、自分よりずっと年下の母の登場に優子は戸惑う。
年下の母を迎えた共同生活は噛み合わず騒動が絶えなかったが、ある日悲劇が起きる……。

長崎の郵便配達

戦時中に英雄となり退官後は英国王室に仕えたピーター・タウンゼンド大佐は、作家として戦争被害にあった子どもたちへ特別な関心を抱くようになる。
その後ジャーナリストとなった彼は来日して長崎を訪れた際、16歳で郵便配達中に被爆し核廃絶を世界に訴え続ける谷口稜曄を取材し、
1984年にノンフィクション小説「THE POSTMAN OF NAGASAKI」を出版した。
映画ではタウンゼンド大佐の娘で女優のイザベル・タウンゼントが2018年に長崎を訪れ、父親の著書とボイスメモを頼りに父と谷口さんの思いを紐解いていく。

夢は牛のお医者さん

1987年、新潟の山間にある小さな小学校に3頭の子牛がやってくる。
当時、小学校3年生だった少女は牛の世話をしていく中で”牛のお医者さんになりたい”との夢を抱くようになる。
やがて少女は親しんだ牛との別れを経て、家族や周囲に支えられながらも獣医になるべく猛勉強をしペットではない「家畜」のお医者さんとなる。
結婚して母となり、かけがえのない「いのち」と向き合いながら今日も闘っている。